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何度でも足を運ぶこと :後編

宮城県亘理町のことと、これからのこと。後編は考えたこと中心。走り書き。
4月15日前後の活動中心に書いた前編はこちら。http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=755


亘理は社協やVC(ボランティアセンター)がとてもよく動いていて、人の繋がりもシステムも
スタッフの皆さんの笑顔や元気な声とともに回っている。
彼ら彼女らの心のこもった配慮に、本当に驚いた。とてもあたたかく一致団結した地域。

けれど、それでも津波被害をうけた場所は、一体どれだけの人がいたら足りるのだろう。広すぎる。

支援場所に向かうまでは、街は一見とても普通。仙台駅もオシャレした高校生が歩いているし、
亘理町も一見日常風景が広がってた。驚くほど。スーパーにも物は潤沢にある。
でも、常磐自動車道の土手を超えると景色は一変。ここがイチゼロの世界を作っていた。
今回の被災は、大きく平野部かリアス式海岸かで様子が分かれる。
亘理を含む仙台平野以南は、波が沿岸から数キロにわたるまで届いている。
そしてどこもおなじく、高速などの土手で遮られている。
だから街の中での温度感も、全然ちがうのだ。
今後この差をどう乗り越えて地域一つでまちをつくっていくかが課題になる気がした。

庭には自動販売機が転がり、道ばたに船、お墓に車がつきささり、
道路脇に積み上げられた瓦礫は誰も持っていけずにそのまま。1ヶ月経ったのにこの状態。


1日7~9人かかりでも、1つの家を5分の1も片付けできない。
だって、ほんとうに、泥と、流れてきたゴミやガレキが各家を埋めた状態。
波の跡は1階の屋根の下あたりについていた。ここは波が落ち着いたラインで、
実際は2階部分まで達していたとのこと。


亘理町みたいに県外受け入れをしているところは
比較的組織が循環して中枢機能が回っているところ。そして明らかに、外の人手を求めている。
ひとつひとつの家を綺麗にしていくのを、被災した方々だけで行うには途方も無い被害。
当時はボランティアに向かうこと自体、被災地にとっていいのか、
果たして役に立てるのか、という空気が東京にはあった。
でもね、きちんと人手が必要だと発信しているところを見つけて、
積極的に向かうべきだと思った。

時間のある大学生は行ったらいいし、社会人も週末だけでも十分役に立つ。
何ができるかな…って悶々してるなら、笑顔で働きに来るだけで価値がある。(覚悟と準備をして)

受け入れしていないところでも、この時点では人手が足りている場所なんてないと感じた。
マネジメント体制がないのが理由のほとんど。

▼いま必要なこと
一番感じたのは、中枢でマネジメントする人材。
この広さでこの被害。ひとつき経っても、直後と見まごう状態。
直後の復帰と、今後の復興へ向けたシナリオづくりを、長期滞在してマネジメントできる人か、
マネジメントの形を短期でつくって 地域に引き渡せる人材が本当に必要だと思った。
どこがやれるんだろう、、、周りのNPOの方々もすごく動いている。
現地の情報を潤沢に持っているNPOと、情報発信の仕組みに長けている団体と。
どちらもがマッチングできればいいのだけど。(聞いてみよ)

例えば、家のなかの泥を掻きだしても、この家がまた使えるのかどうか
資金の援助がいつどれぐらいあるのか、誰もわからない。
どんな手続きで家が再建されるのか、どかしたガレキは誰がいつ持っていってくれるのか。
被災地の方とボランティアによって、沢山のご自宅が少しずつ綺麗になっているのは事実。
ただ、ガレキの置き場所なんて町のなかに元々ないのだから、
誰かの敷地に入ってしまって時々いさかいもおきる。

その道筋や時期のめどが示せるだけで、
既に前を向いている町のひとたちは、一層安心できるのでは と思った。

そしてそこまで、今の時点で自治体がカバーするのは難しいと感じた。

▼私たちができること

各自の今住む場での役割を全うしながら、よりよい社会へ向けて創造すること
ということを、皆続けてると思う。
それに加えて現地でも手助けをと考える人は、
まずひとつは、直後のマンパワーとして、県外受け入れをしている場所や、

声が届いていないところを探して支援に行くこと。明るく元気に。

そしてもう一つ、もっと大事なのが、その地域のファンとして
何度でも足を運び長くつきあうこと。

今回の震災で、地域の産業もかなりの打撃をうけている。
だから一度だけでなく何度でも足を運んで、その地域を応援し続けることが出来たらと思う。
遊びにもボランティアにも行くこと。新たなファンをつくるために、友人達を誘っていくこと。
応援者やいちファンとして明るく寄り添っていくことが、私たちにできることではないだろうか。

頼もしい友人や知人のNPOたちが、震災後からずっと被災地で支援活動を続けている。
彼ら現地のコーディネーターと連携して、
約20人ほど、人手が必要な場所に案内させていただいた。
まずは少しでも、必要なところに、その人の装備に合わせた必要な人を、
ということをつなげていけたらと思う。とくにGW後。
出身の都市計画研究室でも、OBOG集まって、議論と提案を続けている。

▼これからのこと
一つは、ゆるくでもいいから、継続して現地に
人が行く形をつくりたいなと思う。これから長い先、続くように。

そしてもう一つ、住宅に関すること。仮設住宅から本設住宅までの流れを、木材ふくめて
よりよいものにしていく手助けができたら、、と思う。
住宅に携わる者として、安心する家が失われた方々の声が、
すごく堪えた。私が堪えてどうするんだって思うけど、
何ができるだろうって途方に暮れた。

このふたつは知人たちと構想中なので、なにか形ができたらお伝えさせてください。

被災地に行って改めて確認したのは、「ひとの繋がり」の大切さ。
たとえば復帰フェーズのいまも、
そこに住まう人が永く顔見知りでいたか、新しい人達が集まった場所かで
助け合いの様子やいさかいの大きさが全然ちがった。

震災直後の東京で、一人暮らしの若者たちが
互いの家を行き来して連絡をとり、助け合う様子をみて、
こんなに無理して色んなエネルギーを使って、

それぞれが独立して住まってきた意味ってなんだろう って思った。
この1ヶ月半、繋がりを作ることは、すごくすごく再確認した。

建築・まちづくりに携わっていくものとして、できることは沢山あるし
自分のなかの指針を確認した気がする。

いま創られていくものが、きっとこれからの大きなヒントになっていくんだろうね。

そしてGW!ベトナムに行ってまいります。
現地に住む友人たちに会いに、研究室の研究対象地を訪れに。
なんと2月に予約していたチケットよりも、4月のほうが安くなっているという衝撃。

めいっぱい楽しんできて、帰ってまたしっかり働きますーー

春ということもあって、最近沢山の友人たちの岐路があった。
場所は変わっても、これからもそれぞれの場所で
チーム戦でやっていけたらいいな。

http://yukinco00.sakura.ne.jp/berangkat/?p=755

logs

書き留めていかないと流れていっちゃう。
色んなところに書いた言葉あつめ。ここ一週間。

先週日曜、西新宿の軍艦マンションに行ってきた。
http://www.realrole.jp/gunkan/
↑これが復活するっていう、出航イベント

沢山、沢山人がいた。
建築でもサブカルアートでもない人もほんとに沢山いた。
すごく違和感があった。ちょっと前ならこのイベント、ここまで人集まったかな。
この人の集まりは、変化した伝播メディアの仕業に見えた。
行動が確実に変わってるのを目の当たりにしたきがするのです。

“建築家、渡邊洋治氏の代表作として今も残る第3スカイビルは、
1970年に竣工した地上14階、地下1階建ての建物。
シルバーに塗られた躯体、横起きされた給水塔、ユニットにわかれた
各室など軍艦をモチーフとしたデザインが施され、俗に軍艦マンションと呼ばれている。
狂気の建築家、異端の建築家と呼ばれていた渡邊氏は、陸軍船舶兵出身という経歴をもち、
その影響がうかがえる独特のデザインの建築物をいくつも手掛けた。
軍艦マンションという通称を持つ第3スカイビルは、その中の代表ともいわれる建物。”

 

そのあと行ったのは、オペラシティのICC。オープンスペース2010。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2010/Openspace2010/index_j.html

クワクボリョウタ。
只、ペンや籠や金網などの雑貨を置いて、間に模型電車を走らす。
その電車が影絵を壁に映して進む。
それだけなのに、こんなに室内を変えてしまえる!
テクノロジーじゃない、場の距離と光の効果をアナログに、巧みに使って、
驚く体験をさせられた。
これはかっこいい。

http://www.ntticc.or.jp/Archive/2010/Openspace2010/Works/thetenthsentiment_j.html

もうひとつ、グレゴリー・バーサミアン。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2010/Openspace2010/Works/juggler_j.html
騙された、こっちの視覚の粗を使われた。何が起きてるか理解に時間がかかった。
ジェームズ・タレル然り、人間の五感を利用して 新しい世界を
見せてくれる現代アートが好きです。この驚きの体験が好きです。

 

志水児王のクライゼンフラスコを見ながら思った。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2010/Vibrations_of_Entities/works/work03_j.html

あたしは絵画や現代アートを見ていると、どういう感覚と表現していいかわからないのだけど
とても心がおちつく。
この不思議な部屋のなかで、地面にすわって、すーっとした顔をしている人が何人かいた。
そうだよね、そういう感覚だよね。そのあなたの顔を、
家でのんびりねそべっているときにする人もいるし、他の友人は、なにより
一生懸命働いているときが、一番こころが落ち着いていそうだなあ。

前日に、大学時代の友人に久しぶりにあって話していた。
彼女は、とにかく誰かのために生活を整えることがとても好きなのだという。
そしてその状態でいることが必要なんだって。

それが、できれば好きな人のためだと嬉しいと、探していた。

 

それでね、結局全ては、”癒し”なんじゃないかと思った。
美しいものを見ることも、物を作ることも、必死で頑張ることも。
歌うことも、家でねそべってのんびりすることも、感動することも悲しむことも。
人を愛することも、誰かに尽くすことも。
魂が癒される行為は人それぞれで、
それぞれが、自分のそれを求めてる気がした。
なんだか違う次元の行動に見られているけど、全部おんなじだって おなかに落ちてきたのです。
そう思うと、すーっと肩のちからがぬけた。

…まだ言葉にならないなぁ

 



三影堂撮影芸術中心

京に行ってきた。先週。とても大事な用事があって。

そこで艾未未(アイ・ウェイウェイ)が作ったギャラリーに連れていってもらった。
http://www.threeshadows.cn/jp/index_jp.htm
ギャラリーの名前は「三影堂撮影芸術中心」。草場地にある。
中国初の写真を専門とする民間の現代アート・センター。
この近くにはアイ・ウェイウェイが作ったギャラリーが点在している。

電動自転車から降りてみてみたら、見たことがある場所。
三影堂撮影芸術中心は去年の夏、森アーツでアイウェイウェイの展示があったとき、
北京の建築家、松原弘典さん(http://www.bma.net.cn/)が解説してくれたところだった。
何枚もの写真が映写されるのを眺めていると、その空間に足を踏み入れて
重厚さがある場所で涼やかな風を感じているような気分になった、
そんな素敵な建物が感じられた。

ここは著名な写真芸術家、ロンロン[榮榮 RongRong]と彼の妻で日本人の
写真家、 インリ[映里 inri]により開設された。
いまは彼らの写真が展示されている。

この展示を見ながら、ぼろぼろ涙が止まらなかった。
二人の生と愛が全ての写真からにじみ出て、見れば見るほどしんしん伝わってきて、
あったかくて、そのときあたしには痛かった。

ある展示会で出会った2人は、共鳴して、そのときから
お互いを被写体に撮影するようになったらしい。
体の中まで暖かいものが届く写真。ぜひ見にいってください。

とてもいい建築。

ここが、取り壊されそうになっているらしい。
アイウェイウェイは、中国に対して反政府的な発言を繰り返しているため、
とうとう圧力がかかったとか。
こんなにいい場所が。


たばこ祭

最近いろんなものが巡っているから、まとめておく。
取り急ぎ。

いち。
神奈川県秦野市に、沢山の友人達が住んでる。
地元愛あふれる友人たちが、ジモトで遊ぶ魅力を伝える試みをした、
秦野たばこ祭のなかでのイベント re:hadano standard
http://www.rehadano.com/

PR企画として、twitterで”ジモト”をテーマにした140字小説を集めたのです。
「ブンガクショー」、これにがっつり関わった。
http://rehadano.com/bungakushow/
期間中いろんなコミュニケートを試して、徐々に小説が届きだして、
応援してくれる人たちが現れて、昨日募集終了。

ふたをあけてみたら、日本各地から届いた小説に込められた想いに
ものすごく心揺さぶられた。。
いい想い出だけじゃない、生まれ育った場所だからこそ複雑なやるせない想い、
故郷を捨ててきたストーリー、大事な人と故郷をつくっていく話。

「ジモト」「故郷」に対する幾つもの気持ちが
140字の向こうから強く強く伝わってきて、
秦野にむかう小田急線のなか、ちょっと涙しそうになったんだ。

いまは 集まった全ての小説を冊子化、ポストカード化して、
大賞をパネル&全小説でモザイク画をつくっているところ。
明日明後日のたばこ祭で発表します。大賞はKindle♪(ほしい)
Web企画としてもすごく勉強になった。

お仕事の可能性がもうちょっと広げて見えた。体感てつよい。

もうひとつ。
学生時代につくったカフェ、02cafe。http://www.02cafe.jp/
今年に入ってから、ここを舞台にもちょっとずつ巡ってる。
一緒にカフェを立ち上げたメンバーが社会人3、4年目になって、
再びそれぞれの立場で、カフェを真ん中に繋がりはじめた。

10月1日〜、カナダ大使館とタイアップして、カナダフェアを実施します。
この話が出てきたのも、カフェの立ち上げをサポートしてくれたこ、
いまはD通に勤めている友人が相談してくれたのがきっかけ。
現役の頼もしいメンバーと、立ち上げ当時のメンバーたちで、
あの頃できなかった展開をカフェで考えられるようになってきた。
この場を通じて、早稲田の学生たちはちょっとした世の中との繋がりや
面白いきっかけを持ちはじめてくれるかもしれない。


あと2こっくらい同時並行でうごいてるんだけど、
今日はここまで。明日は朝イチ秦野だ!


漁と農と立ちどまり。

ほんとは今ごろイタリアだったのだけど、日本にいる。

週末、若狭を巡る旅に出かけた。
これはその一枚。
沢山のじんわりしたいい出来事があったのだけど、
この写真は朝4時起きで大敷網漁船に乗せてもらったときのもの。

授業で習うとき、農業と漁業ってなんだかいっしょくたに紹介されるけど、
漁を目の当たりにして、全然、全然違うってことがわかった。
衝撃のできごと。

特に大敷網漁だからかもしれない。
魚が入り込んでしまうように仕掛けられた網のまわりを
船3隻に乗り込んだ3〜40人の男達が囲い込み、
一気に魚を追い込んで引き上げる。
威勢のいいかけ声と笑い声、勢いと完璧なチームワーク。
これはもう祭だなと思った。
博打的な要素もある。当たり前だけど、漁って
狩猟民族の生業だってことがものすごく腑に落ちた。がってん。
農業と漁業の見方を変えることにした。

この旅は、日本中から農業を学ぶ若者達が研修にきている
農楽舎(2年泊まり込むらしい)に泊めていただいた。
私たちも5月の田植えにむけて種モミの準備をして、
じゃがいも畑をお世話してきた。

この春の山の、若葉のもえぎ色と山桜のピンクが淡く混ざるかんじが
もうほんとうに綺麗で、ため息。

気比の松原のコントラストも美しかったのです。
地元のおばちゃんたちが郷土料理をふるまってくれて、
集落と呼ばれるところのなかにどっぷり漬かって、
集落の成り立ちが少しだけ見えた気がする。

そして今。
ほんとうはイタリアにいるところ、いま日本。

イタリア行きの前夜、夜中。フロアで1人仕事をしていたら、
祖父の訃報が入った。

このあいだ調子を崩したときいて、若狭の旅を切り上げて
おじいちゃんに会いに行っていた。だいぶん元気になっていて、
笑顔で話せて、ああよかったとおもって、帰ってきた矢先。

じつは今回のイタリアの旅ではいろんなアレンジメントを頼んであり、
準備も進めていて、自分にとっては大きな意味のある旅になる予定だった。

けれど祖父の訃報をきっかけに、方向感覚を失った。
身近な人がいなくなることに勝るものはない。
夜中の会社でひとり、とてもさみしかった。

生きていくなかで、一番だいじにだいじにしたいもの、ほしいものって
なんなんだろうって、ぼーっと思いながら、タクシーで帰った。
たぶん答えはじんわり見えていて、
そうすると、今のあたしの立つ場所とか、挑戦するものは、
少なくともいまは見失ってしまった気がしている。

きっと消化しきれないときに、書くんだと思う。
だからこういう場は、すごく上下に感情がぶれたときを
映す形になっちゃうのだけど。

ちゃんと書いておいて、また考えようとおもう。


建築学科の同期たちへ

ほろ酔いポスト。

建築学科同期が大学院を卒業した。
卒業パーティーをしてきた。

あたしは一足先に卒業していたけど、今までは
大学に行けばみんなに会えたし、どこかで繋がっている感じがしてた。
これからは殆どの人が社会に出てそれぞれの道を歩む。

うちの代はたぶん、領域横断で、みんなで集まってわいわいする文化が
そんなに育ってなかったきがする。建築展のあと。
もしかしたら大学院時代に一丸となっていたかもしれないけど、
でもそんな気もやっぱりしない。笑

だからこそ、今一回集まっておくことがすごく重要な気がして、
パーティーしたいって言い続けてたりしたんだ。

社会人になってから、すごく痛感したことがある。
あの場所で学んだことや考えたことは、想像以上に自分の思考体系に
影響を与えていて、随まで染み込んでる。
6年間いたみんなは尚更なのだろうと思う。
そして、どこを世の中一般とするかは分からないけど、少なくとも私たちはマジョリティじゃない。

だからこそ、同じ場所で、同じように頭を悩ませて、
それぞれ個性はあれど近い価値観で育った仲間はもの凄く大事だと思った。
これから社会で活躍していくみんなが、色んなものにチャレンジしていくときに、
一緒に徹夜して頭を悩ませて、ライバルとして競ってきた仲間が
それぞれに頑張っていることを感じられる環境があることは、とても大事だと思った。
建築や都市、暮らすことものを使うこと作ること、人との関係性、
今後どんな世の中にしていくべきか、これまでどんな歴史があって形が生まれてきたのか・・・

建築にまつわる全てについて考えてきた時間を
共有してきた仲間がいることは、とても希有だと思う。

だから今日は皆で会えてほんとに嬉しかった。
飲んで笑って殴り合ってたり泣いてたりして、ほんとに面白かった。

一度でも、こういう機会があるかないかで、
今後の糸の流れが全然変わると思うんだ。

それぞれの道で、がんばろうね。これからも。

卒業おめでとう!


凧あげとブルームーンの1月

凧あげした。するりと晴れた土曜日。
荒川の堤防で少年野球やっていて、監督が根性論叫んでた。

小さいころ凧をつくって、凧が豆粒に見えるくらい
遠くまで飛ばした気がしたけど、
それってあたしが小さかったからなのか、凧はほんとにあんなに飛ぶのか
確かめたいって思ってた。

ら、
ほんとだった、ものすごい飛んでた!


見えるかなあ。手前のピンクの凧の右上に、ほんとに小さく2つの凧。


低く飛んでるときの凧。


手前の紐が凧糸、至近距離。後ろに飛んでるのが凧、豆粒大。
実物は横ハバ1メートルはある。
たぶん100メートルくらい上空に飛んでる。うちのフロアと一緒!
少年野球の少年達にも大人気だった。

百人一首と坊主めくりもした。うろ覚えの上の句下の句。

今年の初詣は鎌倉の鶴岡八幡宮。
ここのおみくじには3戦2敗している。
いっせーのーで でみんなで開いた。
あたしは吉。着実に進め、と。いいこと書いてあった。

福井で坊主の修行中の岩上が、一瞬帰ってきた。
02cafeで久しぶりに入れ替わり立ち替わり
同窓会みたいになった。貴重な岩上バリマシーン風景。
カフェがあってよかったなあっていつも思うやつの、
2010年思い初めした。

そして1月は、満月が2回あったのです。
ひとつきのなかの2回目の満月を、「ブルームーン」って呼ぶ。
「めったにない、珍しいこと」

ブルームーンの日、清澄白河公園のお茶室借りて、お茶会を開いた。
ぱるがお茶を習い始めて、私が小学生のあいだお茶を習っていたのを知って、
お茶会やろうやろうっ て始まった。

池に浮かぶ日本建築。想像以上に素敵な場所。
お茶を点てているのを眺めたり、
少しだけお作法を伝えて和菓子とお茶をいただいたり、
持ち寄ったごはんで宴会して過ごした。
半分初めまして。きっと2回目に平気になる。

ブルームーンにお願いごとするといいんだって!
その夜は月に願い事した。

次の日、雪。
東京の雪は、きっと特別な意味をもってるんだろうなあと思った。
ブルームーンの日は、昔から気候が動きやすいらしい。
ほんとはそんな優しいもんじゃなくて、天災も起きやすいとか。
珍しいことの引力で、色んなものが正常じゃなくなるんだなあ。
満月に始まって、満月に終わった1月。

年の暮れから1月あたりの流れが好きです。
日本の所作が際立つ時期。
冬は寒くて親密な気持ちになる。


寿町

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ピクニックの前日のこと。

寿町をみにいった。例の神田の五人衆。

寿町は、日雇い労働者の宿泊場、ドヤ街としての成り立ちを持つ。
石川町の駅からほんの数分。大きな通りを超えた瞬間に、街の空気が変わる。

ここは日本なのか、と疑うほどの空気、景色の変化。

まちづくりシンポジウムで、隣でパネリストをした方が
この街に新しい顔をつくろうと事業を行っていた。

日雇い労働者で栄えたかつての顔はもうなく、働けなくなった老人たちが
生活保護を受けながら住み続けている。
50%以上が65歳以上。
この一角に経つ建物は、新築も全てが3畳ハウス。
とても奇妙な間取りをしている。外付けの空調の間隔がおかしい。
ドヤの労働者、元労働者のためだけの建物。
でも、このまま高齢化が進めば、この建物はなんのためのものになる?

最近では、若者の生活保護者も街に入りだしたらしい。
若者と老人では、同じ環境でも向かう方向がちがう。エネルギーが屈曲する。

新しく町に入った者と、かつてからいる人々との棲み分けがあった。
その絶妙なバランスを保ちながら、彼はこの町にどう働きかけるか悩んでた。

そのあと、ふらりと黄金町にも足を伸ばした。
「アートによる街の再生」をおおきくうたっている町。

あまりの違いに驚いた。かつて風俗店が並んでいたであろう高架下は、
ガラスと木材でいわゆるオシャレな空間に作り替えられ、
高架の向かいの家並みにも、アーティストの小店のはみ出しが起きていた。
はみだしは、まちづくり的には一つの成功指標。ではあるのだけど。
寄り添うように人が入る町と、主役として入る町。

寿町と黄金町のちがいは、共存するか、撤廃を目指すか。

2つの街の重さを体じゅうにまとって、秦野にむかった。

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幸せの風景を絵に描いたような秦野のまちの、年に一度のお祭り。
竹の職人の作品。

お祭りの日。あの土地の魅力が街中にあふれていた。
代え難い理由のひとつをみつけた。
ここはきっと、貴重な場所なのだと思う。


秋遊び

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猪苗代湖。
ちょうど夕暮れごろに通りがかったら、水墨画みたいな景色が広がってた。

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蕎麦の花と、収穫直前の稲穂がとてもきれい。

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小さい頃によく遊んだ草。
節のところをどこか一カ所抜いて、また節に戻す。
どこを抜いたかをあてるゲーム。学校帰りにあてっこして帰った。

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火を起こして、ダッチオーブンでブイヤベースをつくる。

東北のほうに、キャンプに行った。
ものすごい寒かった。
火をおこしたらあたたかくて、火を囲んで、ワインを飲んで話した。
毛布にくるまって、テントのなかで眠った。

すきな空気感とか、すきな感覚が、とてもよくわかるようになる。
大人になるにつれ。


SENSEWARE

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秋晴れが気持ちいい日が続いてる。
代々木公園。子供たちがはしりまわって、青春してた。

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ガパオ、シーハビールで芝生ランチ。
乃木坂に移動したら、野菜市場にでくわした。
だいすきなトマトと梨を手にいれて、21_21 DESIGN SIGHTにむかう。
またも、芝生にねころぶ。さいきん、芝生にでくわすこともふえた。

21_21でSENSEWAREをみてきた。 http://tokyofiber.com/ja/
デザイナーや建築家が、日本の人工繊維の可能性をさぐって表現した試み。
ミラノトリエンナーレで大反響を得た同展の、凱旋展。

日本が古くから誇る繊維業、その先を、開発者・デザイナーが
一体になって取り組んだ。
技術と繊細なデザインの融合が、とても日本らしいとかんじた。

産業の歴史にはうとい、が、
繊維業は、私の地元北陸が繊維バレーと呼ばれた場所であったこともあって、
身近な産業のひとつだった。
地元でいちばんおおきな企業も繊維業で、おばあちゃんの機織りもよく見に行った。

隈研吾の、光ファイバーを埋め込んだコンクリートの素材が、
全く新しい空間表現をしていた。
「建築の意味すら変える可能性がここにある」
技術が可能にする表現。

また芝生でのんびりして、帰宅。
手に入れたトマトで、おいしいごはんをたべた。

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