南米&モロッコからイタリアに戻って1週間。イタリアでカフェに行くと、すごくほっとする。
イタリアの街全体に広がる、“街がひとつの家族”感覚は、
街のあちこちで起きるコミュニケーションから生まれていると思う。
そのなかでも、“カフェ”が すごく重要な役割を担っている。
イタリアのカフェは、日本の“カフェ”とは大違い。
・基本立ち飲み。一杯飲んでお喋りしてサッと出ていく。
・至るところにある。どれくらいかというと、日本の自販機の間隔と同じくらい。(イメージ)
・“カフェ”を頼んで出てくるのはエスプレッソ。クイッと飲むもの。
・朝早くから夜まで営業
・初対面でも連れ立っていく社交の場でもある。連れタバコの感覚に似ている(吸わないけど)
–日本のカフェは、親しい友人と深く話すために行く場所、という
イメージが強い気がするから、全く違う。イタリアに来て、知り合ったばかりの
友人達に、「カフェ行く?」て言われたときは、
「なんで?どういうこと??」とびっくりした(懐かしい….)
イタリア人は、そんなカフェに一日何度も行く。
例えば、出勤前にさっとエスプレッソを一杯+甘いコルネット(クロワッサン)、
授業や仕事の合間の少し長い休み時間に連れ立って一杯、
ランチのあとにもう一杯…
これだけ頻繁に行く場所だから、誰もが“お気に入りのカフェ”を持っている。
カフェのオーナー達もそろって快活、お喋り上手。
家の近くや職場の近くのお気に入りのカフェに行くと、多くの人たちが顔見知り。
美味しいエスプレッソが飲めること、コルネットが美味しいことはとても重要。
そしてカフェのオーナーや、常連のご近所さんたちとのお喋りも大事な要素。
調子はどうだい、元気かい?これからどこ行くんだい?ていう、何気ない会話が繰り広げられる。
毎日の何気ない会話だけど、積み上げるとものすごい数の毎日を一緒に過ごしている。
その中心にあるカフェは、地域に根ざした強力なコミュニティのハブになっている。
おじいちゃんもおばあちゃんも、子どもから大人まで
ほんとうに沢山の世代が混じり合う場所。
きっと体験してもらうとわかるはず。とても豊かな時間が流れているのです。
こういう場所、日本でいうと何に当たるんだろう。
毎日のように近所で多世代が自然に交流する場所、、、
こんな場所が1つの地域からでもつくれたら、生活の彩りがぐっと変わってくる気がするのです。
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ご無沙汰してます!南欧のカフェ文化、懐かしく思い出しました。僕もバルセロナでは毎日通うカフェがありましたよ。一週間もすると頼まなくても「いつものやつ」が出てくるようになるという。いつも同じ時間に現れるお馴染みの人たち。ほんとにこういう場所、日本でも欲しいですね。
MORITAさん、コメントありがとうございます!
そうですよね。南米で暮らしているときに、あの何気ない時間が本当に豊かだったんだなあと無性にカフェが懐かしくなっていました。なので今は念願、カフェに通う毎日です。笑
こういう場所、日本で作ろうとするとどんな場所ができるでしょうね。もしくは新しく作らず、既にあるものからアレンジできるのかな。
小さい頃にあった駄菓子やさんは近い匂いだけど、子どもと駄菓子屋のおばちゃんだけの場所。 なんとなく、秋祭りに向けて毎日集まって太鼓やバチを練習していた光景が、近い感覚です。
忘年会、新年会、お花見、商戦期ごとの決起会や慰労会….?
日本は特定の場所じゃなく、常にはない祭りのような催しで人が繋げられている
文化なのかもしれないなあと、ふと思いました。
MORITA さんが作るドームのような場所が地域に点在したら、面白いですね〜(妄想が続いています笑)
いつか地元の足羽川あたりをデザインしはじめると思うので、ぜひ森田さんの作品をお願いさせてただきたいです〜。韓国のドーム、大好きです。お招きできるように頑張ります。笑